寝ても覚めても齋藤先生に恋してる日記

齋藤孝先生の本についてや日々思うことについて、何でも書きます。

雷神

弘前は雷が鳴ってる。

弘前に落ちたのかどうかは分からないけど。 

家の中に吊り下げてるランタンが雷が落ちる度にガタガタガタ、振動してる。

豪雨に雷。

 

雷は神のお怒りってよく言うから怒られてるんじゃないかって思った。

でも春雷はよくあることみたいだね。

雷に何も感じないか、感じるかはその人次第。

でも時々何も考えない、知らない方が息苦しくならなくて楽だなと思う。

だから、色んな事知ってるのに強く生きていける人は強靭だと思う。

 

私はいつも崩壊寸前。

狂気じみて元気か、狂気じみて落ち込むか 笑

感受性の塊みたいな。

晴れわたっていればこの世はパラダイス☀

けど雷が鳴っただけでひどく落ち込む。

それを感じているのは確かに自分だけど、少しの事で揺れ動く自分は何なんだろう、くだらない、と思う。

自分を自分として受け入れられない。

皆他人と違うけど、そこに意味はない、と思う。

いや、今現在は何かしらの意味がある。

少なくとも周りに多少なりとも影響を及ぼしている。

でも私に関すればあと何十年かしたら、何も無かったことになる。

子供がいないから存在したこと自体を知る人がいないんだから、考える人なんて皆無だ。

消える。

消えるために生きている。 

だからと言って子供は作らない。

楽しいことも勿論たくさんあるけど、少しでも内面が、精神的な部分が自分みたいになるかもしれないと思うと不憫で。

しかも、自分のせいで子供が辛いのは耐えられない。

引き継ぐべきDNAでない。

それこそ私が死んだらやっと、やっと終わりが来るっていう感じ。

 

織田信長とか、アラン・リックマンとか菅原道真とか。

彼らはまだ死んでないし、これからも死なない。

存在し続ける。

私が消えた何世紀後も。

でもそれも永遠じゃない、いつかは死ぬ。

『雷神』で調べてみたら道真公のことが出てきてなんとなく読んだら。

 

天女の子とかいう伝説的なことから怨霊とか学問の神様とか。

良いように好き勝手周りに作られ。

感情が消え去った後にまで学問の神様やら兵主部という妖怪を助けたとか、梅は飛んでいき、桜は枯れ果て松は道中力尽きて根を下ろしたとか伝説を言い伝えられているなんて知る由もない。

生きてる間は才がある故に妬み嫉みを受け遠ざけられ、苦しんで。

太宰府に左遷された時、大切な人と引き裂かれて生活も困窮して。

それでも周りに誰かがいたから耐えられたんだと思う。

多くの家族とは引き離されても、一緒にきた家族でお互いがお互いを支えあって、励まし合って。

きっとだから強靭な人であれたのかもしれない。

 

一人の私には一体何があるんだろう。

もし一人じゃなかったらもっと強くなれたのか。(たらればの時点で無意味だけど)

家族がない私は何と支え合って生きればいいんだ。

勿論一人で踏ん張ってあと60年もそもそと惨めに生きていけばいいんだ。

自分が恥だ。醜い。自分を成すものすべてが。

体も息苦しいけど特に内側が。

 

普通に人と関われるし、年下とはくだらない事言って笑ってイジられたりし、先輩ともふざけ合ってイジりイジられ仲いいしお互い楽しい。

でもたまに全く怒ってない、楽しい時にふと怖いよと言われる。

怒りの怖さじゃなくて、なんか不気味というか、触れない方がいいと思うんだって。

何が違うの?

その何かのせいで当たり障りなく生きていけても根本的な一番大切な人間関係がうまくいかないのか?

でもその何かは他人が動物的に感じる不気味さは私が醸し出してる何かが原因だもんね。

壁は作らない、むしろ初見の人だからこそ色々深い話までしたりするし、誰か知り合いがいたら必ず構いに行く 笑

でも、根本的な、本質的な、霊?感情?精神?(脳でいいや 笑)の深淵で感じる喜びや悲しみを共有できるのは故人や本だけ。

つまり現実にはその対象がない。 

故人と共有していると一人で自分に思い込ませて妄想しているだけ。

本とか故人とか精神とかに執着して感情や思考生活の大部分を向けることを周りの人がしていなくて理解してくれない。

軽い感じで話してみてもヤバイね、それ、きぬは結婚できないよ、と言われて笑われて終わり。

本当のことを言うことで壁ができてしまうかもと思って、そしてやっぱり自分がキチガイなんだと思ってそれから言わなくなった。

結婚はどうでもいい。

ただ理解者か共通する人とほんの一瞬でも手を握り合えれば、同じ空間を共有できれば、心臓の音を耳をあてて確かめあえれば。

そういう人が存在すれば、ほんの僅かな部分でも重なり合えたらきっと落ち着く、少しは自分を受け入れられると思う。

 

そういう人はどこにいるのかな。

本屋?図書館?道?

本屋とかに行く時は必ず本を選ぶ時間と人を探す時間をとってるんだけど、結局本は選べても誰も見つけられずに終わる。

この人同じだ、と動物的に感じる人がいない。 

そして毎回少し期待してる分落胆?絶望?する

やっぱりいなかったって。

期待しなければいいのに、同じような人がいて欲しいという願望でやっぱり少し希望を持ってしまう。

道なんか散歩しながら、ただただ存在するかも分からない人を探している。

愚かで滑稽だ。

生まれてから、後ろにバックできない(あのマリオの画面が勝手にスライドしていく面みたいな)数えきれない分岐点のある迷路をただただ誰かを探して彷徨っている。

多分色んなもの(脂肪や病気や知識や服や夜具や食器等の単純な荷物)を携えて、誰も見つけられないまま何度も希望を懐き、何度も絶望して疲れ果ててゴールに辿り着く。

 

それでも

この世はパラダイス☀